三国志時代の武器ってゲームの中と一緒なの?其の二

 

ゲーム内の武器と実際の三国時代の武器

さて前回からの続き。環首刀という武器が実際の三国時代に使用されていたが魏・呉・蜀で若干の長さの違いなどがあったという話の後半だ。

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江南の呉の地でもやはり剣の制作にはとても力を入れていた。孫権の時代「黄武5年(226年)武昌山で十口剣を制作、長さは三尺九寸(147.7cm)であった。と刀剣録の記載にある。

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面白いのは前にも紹介した呉の環首刀は平均すると三国の中でも短く90cmくらいのものを使用していたというデーターがある中上記のような147cmもの長さの環首刀が製造されたという点である。この長さ三尺九寸は現在発見されている環首刀の中でも最長で品質も三国時代に見つかった環首刀の中でも最高級であった。

また蜀漢の諸葛亮は更に武器製造に重点を置いた。「蒲元神刀」の故事にある通り斜谷地方にて刀の製造を開始した。

刀剣を制作するとき必ず必要となるのが豊富な水源である。だが蒲元は蜀付近の水質は良くなく、蜀江まで水を取りに行くよう命じた、一人の命令に背いた男が八升を涪水から組んでもって帰ってきた。蒲元はその水を使い刀剣の焼き入れをしたが、彼はすぐこの水が涪水からの水であることを見抜いたという伝説が残っている。

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(蒲元ホゲン)

上記のような武器の神話にもその背景には隠れた一つの事実がある。常人を超えた武器品質、またこの物語の歴史の裏側には刀匠の焼き入れに対する非常に豊富な経験、すでに水質と焼き入れに対しての影響を考えている所である。

刀剣を長くすればそれだけ製造の難しさの難度はグンと上昇する。長い刀剣が出土しているという事は他の地域も刀剣もそれに応じて長くなる。

長い刀剣が出土するという事は当時の刀剣製造技術の高さを物語っている。

語句

(蒲元造刀)

蒲元…木牛を制作したと言われる人物。奇抜な工夫で次々にさまざなものを発明したと言われる人物。刀匠でもなく一度も刀造りをしたことがないのにもかかわらず3千振りの刀を作成したと言われる。その方法は金を溶かして鋳型にするという方法であったという。「太平御覧」より。