三国時代のお金って何を使っていたんだろう?

三国志時代はどんなお金を使ってたの?

三国時代にどんなお金を使っていたのか。中国の方の文献を翻訳しつつ考察してくことにするよ!

三国志や水滸伝を読む中で一つ大きな違いがある。それは通貨を使うシーンが大きく異なっているという事だ。

水滸伝では様々な記述に銭が登場する。史進が渡した100両の銀子。水滸伝の時代は銀子が中心だったようだ。

銭という記述

翻って三国志内ではどの様に記述されているのであろうか。三国志。または三国演義の記述内では30万銭とか50万銭とか…曹操の父曹嵩は1億銭を使ったという記述があるようだ。

皇帝から大臣に何かを賜るときは「金」を用いていて「銭」と「金」と言うのが主要な通貨であったらしい。結局この時代のお金は銀子なのか…銭なのか…はたまた何なのだろう。

五銖銭

この銭というのはどうやら銅銭を指しているらしい。具体的に言うと「五銖銭」というものらしい。秦朝前の国家期は長期分裂していて通貨も多種多様なものが流通している。秦の始皇帝が中華統一後経済学の視点より導入したもの。とはいっても使用量はそんなに多くなかったみたいだけどね。

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秦王朝では金が上限通過(一番価値のある通貨という意味かな?)で銅は次の価値。金の価値の半分という計算。

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漢朝時代の貨幣乱立

漢朝でも貨幣制度はあまり変わりがなく使用していたが、民間でも銅銭を作ることが許されていた為、様々な銅銭が流通。その為各々に違う品質のや重さの銅銭が市場に氾濫し各方面の混乱をもたらすように。

漢朝の初期に出現した所謂「英銭」。薄く、また上記のお金より多少重い。表面には「半両」と描かれている。

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この様に貨幣市場の混乱を当時の朝廷は改革を目指すことになり、「五銖銭」の使用を法定通貨と定める事とした。(私蔵された貨幣は使用禁止)重量標準を五銖として改造を禁止することに。

自身で貨幣を作る事を禁止した為、貨幣を窃盗する事件が増加。その為、前119年に漢武帝が、「貨幣を盗んだ者は死罪とする」という法律が制定された。当時相当に事件が横行したようで皇帝はこの貨幣についての罰則を6回も改定している。この度重なる改定の後、ようやく五銖銭の法定通貨の位置を確立する事に成功。

という事で三国志時代はこの五銖銭が「銭」として使用されていたという事になるみたいだね。一番初めに触れた「曹操の父曹嵩は1億銭を使った…」という記述はつまりこの銭を使用したって事になる。

ちなみに漢末の時代の銭は人民元にするといくらくらいになるのだろう。漢桓帝の時代は1石が約50銭。これを今の1石に換算すると…3人民元になるようだ。(日本円だと60円くらい?)

 60円で1銭ってちょっと面白いね。そして三国志時代における銭も何となくイメージが湧いた所で今回はここまで!

次回は当時の人たちの金銭感覚について調べて見ようと思っております。

参考資料

五銖銭…五銖銭は中国の古代に流通した貨幣。前118年に前漢の武帝により初鋳された。量目が当時の度量衡で5銖であり、また表面に「五銖」の文字が刻印されていることより五銖銭と称されている。wikiより。

via.南门太守